2008年5月6日

宇都宮にてJazz Art 3人展 開催します


来たる2008年5月21日~27日、<Jazzの街>宇都宮の東武百貨店画廊にて、ジェレミー・スタイグ、徳持耕一郎、大場冨生の3人展が開催されます。
もちろん、PVにあるようなジェレミーの肉筆ドローイング作品もたくさん出品致します。
お近くの方は是非お立ち寄りくださいませ。

2008年5月5日

ディスコグラフィー四方山話 Flute Fever vol.3

Q:このアルバムが出た1963年はケネディ大統領が暗殺された年でもありました。その頃のNYのジャズシーンについて、何か思い出があればお聞かせください。

J:まず最初に、当時NYには「ジャズシーンが実際に存在していた」ということ。毎週月曜には、Horace Silverのクインテッドが演奏しており、毎週聞きに行っていたよ。モンクやビルなど有名どころがそこら中のクラブで弾いており、いわゆるクラブホッピングができた。当時、クラブはミュージシャンに入場料をチャージしなかったので、僕も顔が知られていたため、いつもタダでクラブに入り浸りだったね。

Q:他に当時の世相として何か思いでは?

J:そう言えば、その後、僕はバミューダの事故で左耳が全く聞こえなくなっていたので、ベトナムにも徴兵されなかったけど、Winton Kellyは、片耳が聞こえなかったはずだが、ピアノがあまりにうまかったので、信じてもらえず陸軍に行ったはずだよ。

Q:なんだか「万事塞翁が馬」みたいな話ですね。




注釈
<ジョン・ハモンド>
カウント・ベイシー、ビリー・ホリディを世に広め、チャーリー・クリスチャンを発掘するなど、独自の審美眼でジャズの世界に多大な貢献をしたプロデューサー。1938、39年とカーネギーホールで有名な「Spirituals to swing」を企画した。(レスター・ヤング+バック・クレイトン+チャーリー・クリスチャンのセッションが聞ける!)NY出張中だったアルフレッド・ライオンがこのライブを見て感動し、「ブルー・ノート」レーベルを設立した。


<ベン・タッカー>
「カミン・ホーム・ベイビー」の作曲者でもある。

<ベン・ライリー>
このアルバムの翌年からセロニアス・モンクのグループに参加。ジェレミーは、「ベンはモンクにはもってこいのドラマーだと思った」とのこと。

2008年4月18日

Pterodactyl プロモーションビデオ

ジェレミー・スタイグの初ソロCD「翼竜-Pterodactyl」のプロモーションビデオが出来上がりました。アルバムタイトルの「Pterodactyl」と小気味いいブルースナンバーの「News Blues」の2つを公開しています。

ジェレミー本人はもちろん、彼の絵も出てて、とても面白い映像になっています。現在、 You tubeとGoogleで見る事ができます。

以下のリンクをクリックしてください。

<You Tube>
Pterodactyl
News Blues

<Google>
Pterodactyl
News Blues

2008年4月9日

ディスコグラフィー四方山話 Flute Fever vol.2

Q:サイドメンのDenny Zeitlin(p)、Ben Tucker(b)、Ben Rilley(d)というメンバーを見ても、このデビューアルバムに物凄く期待がかかっていた事が察せられます。収録されている曲は、Oleo、Well you Needn't、So whatなどあなたがリスペクトして止まないモンク、マイルズ、ロリンズらの曲がセレクトされてますが、これはジョンが決めたのですか?

J:バンドメンバーはジョンのチョイスだったけど、曲は全部僕が決めたんだ。曲目に関してはジョンは何も言わなかったよ。録音の日に全員初めて顔合わせして、リハーサルなしで録音したんだ。6時間かかったよ。

Q:1963年に発売ですから、録音してる頃は20歳くらいだったわけですよね。今、聞いても、若武者としての勢いがあり、テクニックがあり、なにより曲を消化、吸収してのオリジナルな深い表現力に圧倒されます。発売当時は世間はどんな反応だったのかな?

J:アルバム発売当時は、ほとんど話題にならなかったよ。このアルバムのおかげで仕事が入ったのは3年くらいしてからだったと思うよ。

Q:本当ですか?信じられませんね。

J:ただこの間にビル・エバンスと知り合って、彼に「アルバムを出しても仕事がこない」とこぼしたんだ。そしたらビルが「今アメリカ中が君のアルバムを聞いてるよ。君はただそれを知らないだけだ」と言われたよ。1964年頃の話だよ。

Q:ははは面白い話ですね。このアルバムが日本でも発売されてるのはご存知でしたか?
ジャケットが差し替えられて、あなたのチャーミングな絵やイラストはありませんが。

J:当時は知らなかったよ。コロンビアはそんな事を教えてはくれなかったし。ただ、自分の写真がジャケットに使われてたんでうれしかったよ。

2008年4月4日

ディスコグラフィー四方山話 Flute Fever vol.1


20枚以上のリーダーアルバム、またサイドマンとしても数多くのミュージシャンと関わってきたジェレミー・スタイグ。彼の過去のアルバムを振り返ってみて、ジェレミー・スタイグを軸にアメリカ音楽シーン、サブカルチャー等を再検証してみたいと思います。

~Flute Fever~

Q:まずは1963年のデビューアルバム、Flute Feverについてお聞きします。レコード会社がメジャーレーベルのCBS、でプロデューサーが大物のJohn Hammond。デビューとしては破格な扱いだと思いますが、どういうきっかけでこのアルバムが出来たのでしょうか?

Jeremy(以下J)私の叔父さんが「Send Me Down」というジャズ小説を書いて、それがきっかけで、当時コロンビアのプロデューサーだったJohnと叔父さんが知り合いになって、その叔父さんが私とJohnを引き合わせてくれたんだよ。

Q:なるほど。で、それからどうしたのですか?

J:私は50ドル払って安スタジオ借り、カルテットのデモテープを作ってジョンのところへ持っていったよ。ジョンは「そのうち何とかしよう」と言ってくれたんだけど、1年くらいはなにも音沙汰がなかったよ。その間に演奏でバミューダーに行き、事故にあったわけだ。

Q:何か順風のような逆風のような・・・。

J:事故の後遺症が残ったけど、特別なマウスピースを自分で作り、またフルートを吹き始めたんだ。それからジョンに電話して、「また吹けます!」って言ったら、ファーストアルバムを録音してくれたんだ。

2008年3月3日

CDレビュー

CDジャーナルの3月号「今月の注目盤」のコーナーにPterodactylのCDレビューが載りました。

2008年2月14日

「プテロダクティル」アマゾンにて発売中




ジェレミーのNew CD「翼竜-Pterodactyl」が、アマゾンドットコムでも購入可能になりました。


購入は、右のリンクよりどうぞ。


是非この機会にお聴きになってください。